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初代土木学会 会長
古市公威が語る「土木学会の精神」

古市公威 土木学会会長就任演説 (全文・2ページ目)

 仏国の工学界の情況は右のごとく、やや時勢に遅れているような観もあるが、自分はこれがために仏国の工学が他の文明国に比して劣るところありとは思わない。この点においても仏国は文明の一等国であることは疑問の余地がない。

 仏国の制度は国情の然らしむるところとして、これを尊重するものであるが、自分が例をあげたのはこれを模範とすべきという意図ではないことは言をまたない。ただ専門分業の方法及び程度において、なお講究の余地あるを証せんがためである。そして自分は極端なる専門分業には反対するものである、専門分業の文字に束縛されて萎縮してしまうことは、大いに戒めるべきことである。特に本会の方針について自分はこの説を主張する者である。

 本会の会員は技師である。技手ではない。将校である。兵卒ではない。すなわち指揮者である。故に第一に指揮者であることの素養がなくてはならない。そして工学所属の各学科を比較しまた各学科の相互の関係を考えるに、指揮者を指揮する人すなわち、いわゆる将に将たる人を必要とする場合は、土木において最も多いのである。土木は概して他の学科を利用する。故に土木の技師は他の専門の技師を使用する能力を有しなければならない。且つ又、土木は機械、電気、建築と密接な関係あるのみならず、その他の学科についても、例えば特種船舶のような用具において、あるいはセメント・鋼鉄のような用材において、絶えず相互に交渉することが必要である。ここにおいて「工学は一なり。工業家たる者はその全般について知識を有していなければならない」の宣言も全く無意味ではないと言うことが出来よう。そしてまた、このように論じてくれば、工学全体を網羅し、しかも土木専門の者が会員の過半数を占めたる工学会を以って、あたかも土木の専攻機関のようにみなし、そのままの姿で歳月を送ってきたのも幾分か許すべきところがあるだろう。

 故に本会の研究事項はこれを土木に限らず、工学全般に広めることが必要である。ただ本会が工学会と異なるところは、工学会の研究は各学科間において軽重がないが、本会の研究は全て土木に帰着しなければならない、即ち換言すれば本会の研究は土木を中心として八方に発展する事が必要である。この事は自分が本会のために主張するところの、専門分業の方法及び程度である。

 右の主意は本会の定款においてもその一端を窺うことができる。工学所属の学会の内、土木を除きたる六学会は会員の資格をその専門の者に限っている。しかし本会の定款第四条の一号には、工学専門と掲げて土木工学専門とは言っていない。これは土木以外の専門事項を研究するために他の専門の者が本会に入会することを歓迎するためである。また他の専門の者もその専門を土木に応用する意志のある者は、本会に入会することで本会に益することになるためである。

 なお本会の研究事項は工学の範囲に止まらず現に工科大学の土木工学科の課程には工学に属していない工芸経済学があり、土木行政法がある。土木専門の者は人に接すること即ち人と交渉することが最も多い。右の科目に関する研究の必要を感ずること切実なるものがある。また工科大学の課程に工業衛生学がないが、土木に関する衛生問題ははなはだ重要である。そして大学の課程にないものはますます本会の研究を要求するものである。これらは数え上げれば、なお外にどのくらいあるかわからない。

 人格の高き者を得るためには総括的教育を必要とするという説は、しばしば耳にするところである。西洋においてラテン語に偉大な効果があることを認める学者が少なくないが、同様に我が邦においては漢学を以って人物を養成すべきであると説く者が多い。皆相応の理由がある。これらは本問題に直接の関係はないが、参考に値するものであると認識している

 会員諸君、願わくば、本会のために研究の範囲を縦横に拡張せられんことを。しかしてその中心に土木あることを忘れられざらんことを。