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初代土木学会 会長
古市公威が語る「土木学会の精神」

古市公威 土木学会会長就任演説 解説

 古市は、「土木」の本質が、真の総合工学であることを鑑み、「土木学会設立」という専門化を助長せざるを得ない歴史的出来事に、非常に深い憂慮の念を抱いていた。他の工学分野ならいざ知らず、「土木」が過度に専門分化してしまえば、土木に携わる人々全員の究極的願いである「よき社会」の実現が遠のいてしまうことを、強く懸念したのである。

 とはいえ、土木に携わる人々が増え、その事業も拡大した時流を踏まえるなら、「土木」に関わる専門学会を設立することのメリットも存在するであろうということも明らかであった。この悩みの下、古市は、専門分化に伴って得られるメリットを最大化しつつ、それによるデメリットを最小化する方途とはいかなるものであるのかを悩んだのであった。

 そのあげくに古市が出した結論は、

 「本会の研究事項はこれを土木に限らず、工学全般に広めることが必要である。ただ本会が工学会と異なるところは、工学会の研究は各学科間において軽重がないが、本会の研究は全て土木に帰着しなければならない、即ち換言すれば本会の研究は土木を中心として八方に発展する事が必要である」

 すなわち、無限に拡大するという遠心力と、土木という言葉を改めて振り返る求心力の双方を極大化し、その相矛盾する両者の均衡を図るべしとの結論を導いたのであった。

 例えば、土木学会では、何をやっても構わない、歴史であろうが文学であろうが、宇宙物理であろうが何をやっても構わないし、むしろ、何もかもを手がけなければならない、と古市は考えたのであった。しかしながら、土木学会会員は、全員、長くて切れぬ縄を自らの胴体に巻き付け、その縄の一方を「土木」という太い杭に巻き付けておかねばならぬのだ、とも同時に考えたのである。こうすることで、「工学会」という半ば目的を見失いがちとなる学術的営為の内部にて土木について活動するよりも、土木学会を設立し、その内部にて活動することの方が、より、土木の本分を果たせるのである、いやむしろ、そうすることでしか、「土木学会設立」という、専門分化に伴う原罪からまぬがれ得ぬ事柄を、正当化することはできぬのではないか、と古市は観て取ったのであった。

 はたして、我々現代の土木技術者は、あるいは、土木学会員は、この古市の思いをどれだけ理解しているのであろうか------。土木学会の内部ですら、細かく専門分化せられた状況を見るにつけ憂慮の念を深めざるを得ない。そして、「土木の拡大・外への発展」は叫ばれることがあっても、土木という言葉が軽視され、各大学からそれを冠した学部が消滅しつつある現状を見るにつけ、古市が希求した遠心力と求心力の調和均衡が著しく軽視されている実情に遺憾の念を感じざるを得ない。我々は、古市が100年前に求めようとした土木学会のかたちを実現することができるのか。あるいは古市が100年前に想像だにしなかった新しい土木のかたちを、この世に実現化せらることができるのか------。

 100周年において、次の100年に向かって宣言すべきは、この決意の程なのではなかろうか。

藤井 聡 京都大学大学院工学研究科教授